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東京高等裁判所 昭和30年(う)2509号 判決

控訴人 被告人 遊佐上治

弁護人 堀川多門

検察官 田辺緑郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人堀川多門作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから茲にこれを引用し、次のとおり判断する。

論旨第一点について

論旨は先ず、原判決は被告人において本件米国通貨五千弗余を谷盛規に携帯させ同人をして羽田空港にある旅客用航空機に乗り込ませた事実を以て右通貨の輸出と認定しているけれども、該認定事実の限度においては、通貨輸出の実行の着手といい得ても輸出の既遂とは解し得ない旨主張する。しかしながら原判決援用に係る谷盛規の検察官に対する供述調書によると、同人は原判示日時右旅客機に塔乗後ホノルルを経て米国に到着した事実を明認し得るのであつて、右塔乗機が米国向の定期便である以上、突発的支障のない限り所定の時刻に発港し、寸時にして領海を越え予定どおり目的地に到着すべきことは、一般にこれを期待して誤ないところであるから、外国為替及び外国貿易管理法の精神に鑑み、法定の除外事由なく支払手段を外国に輸送する目的で、当該外国に渡航するため塔乗した者にこれを引き渡したときはその行為はまさに同法第四十五条にいわゆる輸出に該当するものというべく、未だ離陸しない状態にあつたからといつて輸出行為の未遂を以つて論ずるのは当らない。原判決もこの趣旨において被告人の本件所為を通貨の輸出と判定したものと解するに難くない。それゆえ原判決の事実認定に所論のような判決に影響を及ぼすべき過誤があるとはいえない。次に論旨は本件米国通貨は正常な対外貿易等によつて適法に取得されたものでないから日本政府の管理外に属し、外国為替及び外国貿易管理法の適用の余地がないので、その輸出行為に対し同法を適用すべきものではないと主張する。しかしながら同法の目的とする同法第一条の趣旨に鑑みると、輸出入管理の対象となるべき支払手段たる通貨を特に所論の如く適法に取得されたもののみに限局すべき理由はない。また本件の如き適法に取得されたものでない外国通貨の輸出入管理が、原判示当時所論のように主務官庁において事実放任の状態に置かれていたとしても、かかる行政面における実際上の取扱によつて、この点に関する法律解釈が左右せらるべき謂われはない。なお本件輸出行為の前段階において既に本件通貨につき、本法所定の集中義務違反があつたとしても、これを更に外国に密輸出する行為は右集中義務違反の所為とは別個の犯罪として処罰を免かれない。従つて原判決には所論の如き法令適用の誤は存しない。論旨はすべて理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 谷中董 判事 坂間孝司 判事 久永正勝)

堀川弁護人の控訴趣意

第一点原判決は事実を誤認して法令の適用を誤り、処罰すべからざるものを処罰したる違法のものである。その理由の一として、原判決はその「理由」「事実」中に於て、昭和二十九年九月十六日附検察官作成の起訴状記載の公訴事実たる「被告人は(中略)友人谷盛規が昭和二十七年四月二十四日頃、東京都内羽田空港から旅客用航空機により米国に向け出発するに際し、情を知らない同人に支払手段である右会社所有の米国通貨五千弗余を携帯させて右旅客機に乗り込ませ、以てその輸出を遂げたものである」と認定し、その「適条」に於て外国為替及び外国貿易管理法第四十五条第七十条第十九号を適用し、所謂支払手段の輸出既遂を以て断じている。

然しながら、右事実の記載は日本国の羽田空港にある旅客用航空機に本件支払手段たる米国通貨を持込ませた事実を認め之に「以てその輸出を遂げたものである」と法律的評価を与えたものと認められるから、原判決は日本国の羽田空港にある旅客用航空機に本件米国通貨を持込ませた事実に輸出の既遂罪を適用処断したものである。然し、日本国の羽田空港にある旅客用航空機に、本件米国通貨を携帯の上乗込ませた行為は、右通貨輸出の実行の着手と云い得ても、輸出の既遂と解するを得ない。少くとも日本の領海若くは領空外に置くに至つたときを以て輸出の既遂と断ずべきものと考えられるからである。従つて原判決認定の右事実を以てしては、本法(外国為替及び外国貿易管理法)第四十五条第七十条第十九号の輸出既遂罪の構成要件に該当しないので同条により処断し得ないものであると信ずる。

更にその理由の二として、たとえ被告人の行為が輸出の既遂であるとしても、本件支払手段たる米国通貨につき原判決は事実を精査せず、且つ本法の適正な解釈適用を為していない違法がある。即ち、本件の米国通貨は、本法第一条の趣旨に照し日本政府の管理したものでもなく、亦正常な外国貿易その他によつて取得された外国通貨でもない為、本件米国通貨を日本政府が管理せんとしたものでもない。従つて斯る通貨の輸出行為は本法によつて処罰しなければならない必要性も、亦処罰する相当な理由もないものである。

本法はその第一条においてその立法目的を明示し「この法律は、外国貿易の正常な発展を図り国際収支の均衡、通貨の安定及び外貨資金の最も有効な利用を確保するために必要な外国為替、外国貿易及びその他の対外取引の管理を行い、もつて国民経済の復興と発展とに寄与することを目的とする。」と規定している。元来本法は、当時日本に制定施行されている多くの経済統制法規の一種であり、特に、一般経済現象たる外国為替及び外国貿易を規整し、我国通貨価値の維持並びに貿易の進展を図るものであるが、一般経済現象を法律を以て規整し一定の経済政策を遂行せんとすることは、極めて困難なことであつて、法律で凡ゆる経済現象を律せんとしても充分の効果が挙らないばかりでなく、立法政策上も当を得たものではないから、特に立法目的を明示し、各個の条項についてその解釈、適用の基準を与えているものである。従つて個々の具体的事案については、この本法の目的達成の為、必要にして且つ相当なもののみを、処罰の対象とすべきである。然らざれば徒らに罪人のみを多くして却つて本法の権威を失墜し、国民怨嗟の悪法たるの非難を多くするに至るものである。

本件における対外支払手段たる米国通貨五千弗余は、高毛礼茂がソヴイエト聯邦人コチエリニコフに情報を提供して同人より貰い受けたものであり(高毛礼茂に対する昭和二十九年九月八日付検察官に対する供述調書………尤も同人は四千弗と述べているが証人尾板恒男、同中川統一の原審公廷における供述、神戸銀行東京支店作成の元帳写、並びに第一信託銀行株式会社神保町支店長丸山俊治作成の預金元帳写より見れば右米国通貨は五千弗余であることは明らかである。)、本法第二十一条以下によつて政府の管理下におかれ、政府の外国為替予算に組入れられた外貨でないことは明らかである。斯る外貨がたとえ外国に輸出せられたとしても、同法第一条の目的、即ち外国貿易の正常な発展を図り国民経済の復興と発展に寄与することを妨げるものとは考えられない。斯る外貨を右目的に寄与せしめんとするのならば、先づ右外貨の輸入若しくは集中の点に本法を発動すべきものと考えられるが、この点については問題となつていないものである。日本は不幸にして敗戦により外国軍隊の占領下にあり、その後連合国の一部との間に平和条約が締結されはしたが、本件は右平和条約発効前の事案である。而してその当時は連合国の軍隊及び連合国人が特権的に日本国内にあり、その連合国の通貨が日本国内にあつて、然も、日本政府の管理下に置かれないものが多数存在したことは公知の事実であり、斯る通貨は日本政府の管理下におき本法により之を規整せんとしたものではなく、大蔵省、通産省等においても事実放任の状態においていたことは裁判上顕著な事実であると信ずる。換言すれば、斯る外貨は本法第一条の目的達成に必要とする外貨でもなければ、亦この目的達成に相当な外貨とされていなかつたものである。亦当時の我国の経済状態を省みるに、日本は極度の物資不足と悪性のインフレに悩み、政府の政策は斯る悪性インフレを終熄せしめんとして一品、一物でも多くの物資を国内に入れ、通貨と物資との均衡を保たしめ、物価の安定、延いては国民経済の復興と発展を図つていたことは明らかであつて、之が為外国人、外国商社の所謂無為替輸入、即ち日本政府の管理する外貨を使用せずして物資の日本国内流入を、所謂無為替輸入の許可として之を認め、然もその数額は洵に莫大な量に上つていたものである(証人金井一の証言参照)。而してこれら無為替輸入により輸入される物資の対価として日本国にある日本政府の管理しない外国通貨が半ば公然と引き当てられて居り政府は之を黙認していた状況であつたのである。而して本件米国通貨を輸出せんとしたのも、被告人の所属する昌栄貿易株式会社が、その取引先南豊行に対するバナナ委託販売代金決済の為、台湾より輸入されたバナナの決済資金として、政府の管理外の米国通貨を送付せんとしたものであつて(外国為替管理令第十九条第二項(一)参照)国民経済の復興と発展に寄与することを妨げんとしたものではない。

斯様に本件は、日本と連合国との間の平和条約の発効前の特異の現象であつて、連合軍の占領を離れ独立した日本の現在の国情、若しくは政治経済状勢乃至は外国為替及外国貿易管理政策の下に於ける本法の解釈適用を以てしては、著しくその実態が異なり被告人に対して酷に失するものと信ずる。即ち本法第一条の立法目的の具体的適用に当つては、当時の叙上事情を考慮すべきものである。以上の様に、本件は日本の平和条約発効前の事件であつて、本件米国通貨は連合国人より高毛礼氏を通じて昌栄貿易株式会社に渡つて来た日本政府管理外の、即ち本法の適用の余地なき外国通貨でありその輸出行為は本法の適用を受けるものではなく、少くとも本件外貨及びその輸出行為は、本法第一条の当時の趣旨目的よりして、その処罰の必要性及び相当性を認められないものであるが故に、被告人に対しては無罪の裁判あつて可然ものと思料する。

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